自然にも帳尻合わせというものがあるのだろうか。

 今年、当地では梅雨の間、それほど雨は降らなかった。晴れ間が多く、水不足が心配になるくらいだった。

 どこか消化不良のまま、梅雨が明け、それでも、いよいよ夏本番の暑さがやってくると思っていた。

 けれど、この夏はいまひとつである。

 梅雨明け宣言をしてから、見上げる空はくもりベースで、ほとんど太陽が顔を出してくれない。まるで不完全だった梅雨のやり直しをしているようである。

 こうなると、天候に左右されやすい私は気分が重い。空を見上げては、ため息ばかりつく羽目になる。

 そもそも、今年の夏はスーパー猛暑になる予報が出ていたはず。涼しいのは身体的には楽だが、こころは夏の日差しを望んでいる。

 とはいえ、夏の日差しが出たからといって、夏らしいことをする予定はない。

 泳ぎはほぼできないので、海水浴やプールに行くこともない。山登りも昨年の遭難騒ぎから自粛中なので行くことはできない。

 考えてみれば、晴れても、そうでなくてもアウトドアをしない私にとっては、それほど差はないのかもしれない。

 それでも、晴天とくもり空では、気分は大幅に違う。朝、起きて、どこか薄暗く、湿った空気に包まれていると、それだけで、やる気は75%ダウンになり、頭の働きも弱ってくる。

 私が考えるに、人間にとって、太陽は愛の象徴のようなものではないだろうか。

 長い間、太陽が姿を見せてくれないと、愛なき世界に放り込まれたような気持ちになり、不安になってしまう。

 特に、私のような独り身で、愛から縁遠い生活を普段から送っていると、そのような傾向が顕著になるのではないか。

 太陽が恋しい。あの青空が恋しい。

 早く、愛を感じられる世界が戻ってきてくれないかなと願う日々である。

   日記読み  過去の自分が  恥ずかしい

   どうして、過去の自分は、こんなにもアホでバカだったんだろう